『井上くんへ』

 井上くんに手紙を書いている。

 便箋はいつしか十字キーに変わり、真っ平なガラスのキーボードになってからもずいぶん経った。今便箋と言ったけれども、実のところぼくらの世代なんかがまともに文通をしたはずもなく、実家の引き出しで目にした黄ばんだ紙の束を指して「ビンセン」と呼んでいる。

 考えてみれば、人の往来があるわけでもない近所のポストに投函したとして、それが相手に届くというのも不思議な話だ。赤い塗装はとっくに剥がれ落ちていて、パッと見たら廃墟の表札、閉園した遊園地の看板なんかと見分けがつかない。それでも九割以上の郵便物は確実に郵送されているそうで、郵便制度の耐久性が優れているのか、それを支える人が献身的なのか、ただただ頭が下がるばかり。

 はてさて、ぼくがペンのインクをツと滲ませて綴っているのはなぜだろうか。格好がつくから?手元に残るものが好きだから?「自分の」手元に残るわけではないのに?

 句点の後に続ける言葉が見つからないまま時を過ごしているうちに、自分のしていることがふと分からなくなって、とりとめのない考えがぐるぐると頭の中を回りだしていた。自分が何を考えているのかさえよくわからないまま、頭の中は過去へ、過去へ……

 

 

 はじめて井上くんと会ったのは、確か秋葉原のファミレスであったと思う。その日は割合有名なハコでアイドルのライブがあって、別段興味のなかったぼくも友人に誘われて足を運んだのだが、ライブ後の交流会、もとい宴会場所で揉めていたのだった。いつもなら顔見しり程度の緩いグループでまとまって居酒屋にわらわら押しかけるところなのだけど、この日はどうも人数が多くて収拾がつかない。結局、今日は未成年も多いから別々にしましょう、と年長の人が仕切ることになって、若いぼくらは中央通り沿いでイタリアンを食らうことに落ち着いていた。

 ミラノ風ドリアを単品で注文。ぼくの座ったテーブルは六人席だったのだけど、そもそもアイドル目当てで来ていたのは二人、メイド喫茶で働いているノブナガさん――この時はまだ高校に通っていたらしい――と友人だけで、彼女らは早々にアイドル談義をはじめてしまっていた。黙々と食らっていても仕方ないから、残されたぼくらも今やっているアニメはこれが面白い、だとか、誰々さんがゲームセンターの大会で優勝した、だとか、書いた小説をネットにアップしたから読んでほしい、だとか、まあそういう適当な話題を振りあって和気あいあいとやっていたのだけど、角席にいた井上くんは黙々とパソコンを弄っていた。それを咎めるような人の集まりではないし、時折小気味よく響くエンターキーの音がなければ彼の顔さえ忘れていたと思う。一杯百円かそこらの安ワインで隣のテーブルが賑やかになってきて、若い人も多いからそろそろお開きにしましょうという段になってSNSのアカウントを教え合う話になり、その時はそれで別れたのだった。その時の井上くんは一九九〇年代のアニメキャラクターをアイコンにしていたと思う。

 

 その後しばらく彼に会う機会はなかったのだけど、SNSを通じて彼の人となりはなんとなく知った気になっていた。実際に会ったらインターネットでの印象と違っていた、というのは良く聞く話で、悲喜こもごもなエピソードに溢れているけれども、それは考えてみれば当たり前だ。ぼくは当時、学校やその周辺の「リアル」で関わりある人と繋がるアカウントと、情報収集用のアカウント、知らない人と繋がるためのアカウントを別々に持っていて、ぼくが井上くんと繋がっているアカウントはこの三番目だった。あの夜から程なくして、彼がめっぽうプログラミング――とくに「要求された動作をするプログラムを書く」領域――に強いことを知った。年上の連中に混ざって同人ゲームの開発なんかも手伝っていて、ずいぶん「使い物になる」ことも小耳に挟む。大人に都合よく使われているのか、自覚の上で求められるままの振る舞いをしてご機嫌をとっているのか、今にして思えばたぶんその両方だったと思う。人間評論家をつい気取ってしまうのがインターネットの悪いところで、ぼくは密かに「こいつ、意外としたたかな奴だ、できる」などと評価していた。

 ともかく、ぼくも井上くんもこのアニメが面白いだとか、このゲームは名作だからやるべきだとか、読んでいる本だとか、プログラミングだとか、互いに趣味のことしか書きやしなかった。学校はどうしているのか、とか、どういう家、土地の出身なのか、とか、そういうのをなるべく脱臭するのがこの「繋がり」を保つのに良いことくらい互いにわかっていたはずだ。それを繋がりと呼ぶ人がどれだけいるのかは分からない。趣味について話す時の言葉づかい、性格、表情しか見せることのないやりとり。見えているのはその人のほんの一部分にすぎないのだけど、いつしかインターネットを通じた印象が「彼」になりかけていく。二度目に会ったのはそんな折、その年の暮れだった。

 

 昌平橋の近くにある揚物屋が大食い選手権をやるというので、三千円欲しさに行列に並ぶと、見たことのある顔を見つけた。思い出せないまま話しかけるのは少し躊躇したが、駄目元で声をかける。

 「どこかでお会いしましたか」

 「知らないですね」

 彼が顔を上げた。

 「ああ思い出しました、あのアイドルの」

 「君か、あんまり食べない人なのかと思っていた」

 会話終了。互いにスマホを取り出し弄ろうとしたところで、丼の臭いが染みついたエプロンの店員が列を数えながら挑戦するコースを訊いてきた。ぼくは三杯で三千円目当て、彼は四杯で五千円。よく食べるんですね、という率直な感想を漏らすと、金欠だからね、という答えが返ってきた。再びの沈黙。一度の長い沈黙よりも、二度の沈黙の方が気まずいものだ。たどたどしく会話を紡いでいると、唐揚げの山が助け船のように届く。垂れていくソースは店の黄ばんだ照明に照らされてどす黒く、皿のいちばん下の方に折り重なっていくのが見えた。肉の山を崩していくのは会話を続けるよりずっと楽で、十五分後にぼくらはささやかな賞金を手にしていた。

 胃袋から日本を元気に、などという暑苦しい標語、脂ぎった店主とともに記念撮影をして店を出る。完食のタイミングまで同じで、いよいよ離れるタイミングを失っていた。会う約束のない人に会うのは難しいが、会ってしまった人と別れるのはもっと難しい。先にそれじゃあ、と言ったら負けのような気がして、気づけば一緒に橋を渡って小川町のほうへ抜けていた。郵便局のあたりで彼がおもむろに口を開く。

 「なんでこっち来てるんですか」

 「散歩がてら、ね」

 そんな散歩があるか。今日は咄嗟に出る言葉すべてが上手く嵌らない。

 「それじゃあ新宿まで行きましょうか」

 その声があまりにも穏やかで、知っている彼ではなかったものだから、ぼくは思わずハイッと畏まった返事をしてしまった。

 神保町の古本街を過ぎ、青空の似合う建物の背丈がいくぶん小さくなってきたあたりで、プログラムと人間の反応の違いってなんでしょうね、と彼が聞いてきた。あからさまにぼくの頭を値踏みしているようにも思えたのだけど、それがかえって新鮮で、不思議と嫌な気持ちはしなかった。その時はどう答えたのだっけ?同じ刺激に対してプログラムは同じ反応を示すけれど、人間はその都度少しずつ違うように思う、と無根拠なことを言ったような気がする。彼は「まったく同じ刺激」という仮定は無意味だね、質問が良くなかった、と言ったきりまた黙りこくってしまった。厳密な話がしたいのか、したくないのか?会話の内容は大事ではなくて、なんとなく場が持てばそれで良かったのだ、と思い直す。広かった道路が少し狭くなり、靖国の前を通るころには、内容のない会話がまたはじまっていた。その後は時々肩と首を廻しては眉を広げ、またもとに戻す彼の様子だけを覚えている。

 

 あれからもう四年経った。特に気が合うわけでもなかったけれど、たまたま会う機会がそれから何度もあって、そうこうしているうちにたまたま彼の苗字が井上だと知った。ところで、SNSのアカウントをころころ変えているうちにいつの間にか彼はぼくの視界から消えてしまって、今ではどこで何をやっているのかも分からない。偶然会うこともぱったり無くなってしまった。

 会った人のことはよく覚えている方だと自負しているけれど、それはきっと「最初の印象をずっと引きずっている」程度にすぎなくて、その人そのものを知っているのとは程遠い。無意識のうちに自分の経験や価値観で規定した視界からしか誰かの事を知ることができないというのは、世界を見落とし続けているようで、なんだか寂しい感じもする。ノブナガさんは「人間観察なんて自身の中身がないひとの悪趣味」だという。自分の中を見つめる目ばかりを大きくしたって駄目だ、もっと他人のことをよく見ろ、見るというのは一方的にじろじろ眺めることじゃない、見られてはじめて本当に相手を見たことになるのだ、と。全くわからないわけでもない。秋葉原の街はあれから更に外国人が増えて、パフォーマンスをやる店もさらに増えた。彼女は今、昔と変わらない丈のメイド服を着て、半分アイドルみたいなことをやっている。客に見てもらう仕事をやっているようでいて、実のところは逆に街やそこにいる人を覗きこんでいるのだろうか。しかしながら、そこまでして他人を「見る」ことを徹底できるほど自分はタフではない。封筒を閉じながらため息をつく。

 他人をきちんと見るとはどういうことか、いつも考える。SNS上で見えている姿が一部分にすぎないのは当然として、実際に対面して言葉を交わせば「その人そのもの」に近づけているのだろうか?心を開くとか、開かないとかそういう問題ではなくて、ぼくが生まれてきてから今まで見てきたものと、彼が見てきたものが違っていて、そのせいで同じものを見ても見方がまるきり違っている、そういう中でぼくらは触れ合えるのだろうか?

 でも、本当に触れ合えなくともよいのだ。絶望する必要はない。ぼくの記憶にとって、彼が人間か幽霊か、記憶のデッチアゲではないのか、といったことは問題ではない。ファミレスの記憶、あの街の記憶とともに彼は存在するのだ。今この瞬間、ぼくの中に彼がいたということをこの手で便箋に刻む。届く先は虚空でも良いのだ。今はただ、したためたその姿をいとおしく思って……

 

 

 ことばをひらり、彼の気配がするところに放り投げたい。