踏み出す一歩の足の下 ~アイカツフレンズ!奇跡の90秒~

 

すごいアニメが現れた!

 

 「アイカツフレンズ」1話の出来には目を見張るものがあった。決して派手さ一辺倒ではない。むしろ、主人公の置かれた環境を手際良く描いてみせつつ、細やかな芝居でキャラクターの個性を的確に表現しているところに妙がある。さらには、繊細さに入れ込みすぎるのではなく、「アイドルもの」としてしっかりとキャッチ―な華やかさをも備えており、そのバランス感覚には驚嘆すべきものがある。

 「アイカツフレンズ」は2018年4月末までに4話まで放送された。物語の輪郭が見えてきたこともあり、実生活も落ち着きを取り戻したGWのタイミングで、「アイカツフレンズ」の1話導入部が、いかに優れたものであったかを振り返りたい。

 

本稿ではとくに、1話のはじまりからオープニングテーマがはじまるまでの90秒間に焦点をあてた。なぜなら、新しい世界、新しい仲間との出会いを描くにあたりこの90秒間が特に重要な役割を果たしていると考えるからである。

なお、「アイカツフレンズ」のストーリーは今までの「アイカツ」シリーズと直接の連続性を持たず、シリーズを知らない人でも問題なく視聴できる。このことを踏まえ、本稿は「アイカツ」シリーズ自体まったくの未見である人に本作の魅力が伝わるよう心掛けた。既に「アイカツフレンズ」を追っている人にとっても、本稿が魅力を再確認することに少しでも貢献すれば幸いである。

 

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舞台はどんな街?

 

 1話冒頭を映像の時系列に沿って確認していこう。

 本編開始とともに、高所のカメラが舞台となる街をぐるりと一望する。

 よく晴れたさわやかな朝。小高い丘を遠くに望む開けた台地の中心に近いところで、川が穏やかに流れている。均質な住宅が川を挟んで整然と配置され、町の中心にはアーチ型の橋がかかっている。さながら西洋都市のようだ。

川沿いには人工的に植えられたと思しき満開の桜並木。理想的な西洋都市のモチーフが散りばめられながらも、日本的な桜並木の存在は親しみを感じさせるに十分である。

 町全体に鐘の音が鳴り響いている。レンズが左手を捉えていくと、音の主である鐘つき時計台が視界に入ってくる。住民に等しく「時間」という秩序を与える鐘が現在でも機能していることから、住民同士は古くから結びつきが強く、親密な関係にあると推測される。

住民同士の親密さは伺えるが、かといってこの街は閉鎖的な空間でもない。画面では観光船のようにも見える船が川を往来しているのが確認できる。さらに川に沿って視線を画面奥にやると、高層ビルの立ち並ぶ都市が程近い所にみえる。

ここまでの情報を総合すると、この街は住民同士が親密な関係を築きながらも、外の情報が絶えず入ってくる風通しの良い街であることになる。ここで育った子どもは、基礎的な人付き合いを得意としながら、未知の経験や価値観に柔軟に対応できることだろう。街の空気にみられる「バランス感覚」は、本作全体に通底するものであり、作品の仕上がりを一段階上のものにしているように思う。

 映像ではこの後カメラが切り替わって、鐘つき時計台がはっきりと映し出される。時刻は午前8時。時計台には錆びた跡があり、古くに建造されたことが伺えるが、朝日に照らされた鐘は輝いており、きちんと手入れがされているようだ。

 

街中にみる友希あいねの人物像

 

 鐘の音は続く。桜の花びらがはらはらと落ちる中、軽快な足音とともにピンク髪の少女の頭が映る。

 カメラは再び時計台へ。今度は鐘が最初から画面の中心にある。

 町の中心に架かる橋の下。水面に走っていく少女の影。

 カメラが正面から少女を捉える。腰から顎へレンズがスライドする。手に抱えた袋の中には色鮮やかな野菜が入っている。後ろには川沿いの桜が見える。

 ここまでの映像で注目してほしいのは、ピンク髪の少女―――友希あいね―――の顔がまだ一度も映っていないことだ。走っている少女が何という名前であるかを説明することに時間は割かれない。にも拘わらず、視聴者はその特徴的な髪色、リボン等々から、3カットで映ったキャラクターが主人公であることを前提として観ている。そして、「荷物を抱えながら軽快に走る、活動的な女の子」という主人公の人となりが瞬時に印象付けられているのである。

 「アイカツフレンズ」1話は、主人公の身の回りを濃密に描写しながら、非常にテンポよく出来事が進行する。25分の間に、主人公の初ステージ、さらにはその後まで描いてしまう。

 同じ「アイドルもの」でありながら、対照的な導入がなされるテレビアニメとして「THE IDOLM@STER(2011年、以下『アニマス』)」を挙げることができるだろう。アニマスでは最初の1話すべての時間を使い、メインとなる13人のアイドルをゆっくり描写していく。ステージにアイドルが立つのは3話だ。

 どうしてこの差が生じるのか。要因はいろいろ考えられるが、最大の要因はメインキャラクターの数の差にあろう。「アニマス」が13人のアイドルを平等に登場させることに苦心したのに対し、アイカツフレンズで初期にキービジュアルが公開されたアイドルは6人。さらに、「アニマス」と違ってストーリーの中心を担うキャラクターを「主人公」と定義し、存分に一個人にスポットライトを当てることができる。事実、アイカツフレンズ1話では友希あいねと湊みおという2名のキャラクターの「出会い」を描くことに多くのリソースが割かれている。

 話の進行が早い「アイカツフレンズ」に、主人公の名前や性格を説明台詞等で紹介する時間の余裕はない。その中で、キャラクターの性格は、台詞なしの短いカットの連続で、芝居によってたくみに表現される。全編を通じて存在するキャラクター表現のエッセンスが、「最初の1人」である友希あいねの登場時には凝縮されている。

 

 次のカットでは、ついにピンク髪の少女の名前が明示される。この時の明示の仕方にも注目しながら見てみよう。

 桜並木の横にいた少女が顔をあげ、走ってくるあいねの姿をみつける。

「あっ、あいねちゃんだ!」「やっほー! えりちゃん、元気?」とあいねは笑顔で応答する。友人と思しき「えりちゃん」に「あいね」という名で呼ばれた後にはじめて、あいねの顔全体が明示される。ただし、場面はここで止まらず、あいねが走ってきた勢いのままもう少しだけ展開していく。「おうちのお手伝い?」とひまりちゃん。「うん!」とあいね。ここではじめてあいねは足を止める。

 よく考えると、このシーンは現実をかなり濃縮したものであることに気づくはずだ。まず、あいねは「えり」に話しかけられ、足を止めることなく返答した。その直後、映像では間髪入れず「ひまり」があいねに「おうちのお手伝い?」と問うている。編集の結果、視聴者はあいねの会話を「友人と挨拶を交わした後、自分が手伝いの最中であることを説明する」一連の動作として認識する。しかし、実際には「えり」との会話、「ひまり」との会話は「別の他者」との会話である。両者との会話の間にはもう少し間隔があったはずだ。

 もちろん、ひとりの友人と続けて会話をしても、「あいねは朝から手伝いをする少女である」ことは示せる。しかし、会話が連続しているかのように複数人と会話させることで、「あいねには友人がたくさんいる」ことが台詞なしで示される。つまり、「ひとりの友人と話した時間」の間に、「複数人と話した結果得られる量の情報」を提示しているのだ。このことにより、あいねの人となりは短時間で一層明瞭になる。

 1話冒頭では、慣れ親しんでいる人々との日常的な交流が描かれるのだから、「友希あいね」のことを良く知らない視聴者向けに自己紹介の台詞を挟んでは不自然だ。そこで、日常の動作、キャラクター同士の会話をカメラが上手く編集することで、日々の生活を凝縮して描きながら「友希あいね」の個人情報を視聴者に的確に示していくのだ。これこそが「アイカツフレンズ」である。

 

 「ひまりちゃん、いろはちゃん、また遊ぼうね!」あいねには優先してすべき「家の手伝い」があるらしく、笑顔で手を振りながらまた駆けだしていく。

 「ペンギンカフェ」の看板が大きく映し出される。「ただいま」とあいねの声。「ペンギンカフェ」が彼女の家であるとわかる。

 「おかえり」という父と思しき声。「ペンギンカフェ」の全体が映し出された後、ドアが閉まる。

 ここまでは、街中という「家の外」で友希あいねの人となりが描写されてきた。「街」から見たときの友希家(=ペンギンカフェ)の全体像が映るのを最後に、カメラはついに友希家の中へ入っていく。

 

家の中にみる友希あいねの人物像

 

 イチゴが摘まれている。ハサミを持ったあいねの顔が映る。イチゴ摘みをしていたのは家に帰ったあいねであり、「家の手伝い」とはイチゴ摘みのことだった。イチゴに限らず、収穫物は朝摘みが美味しいといわれる。あいねが、友人と上手にコミュニケーションをとりながらも急いで帰宅していたのは、少しでも早い時間のうちにイチゴを摘んでしまうためだったのだ!誰が見ているわけでもなし、歩いて家へ帰り、それからイチゴ摘みをしたところで咎める人はいない。それでも、なるべく良い状態で収穫したいと思い行動するところに、彼女の性格の良さが表れている(余談だが、「アイカツ」シリーズの初代主人公の名は「いちご」であった)。

「つやつや! おいしそう~」朝摘みのイチゴは美味しい、と彼女は説明してくれる。それだけでなく、いちごに目を輝かせてひとつつまんでしまう。

 それを素早く見とがめるキリリとした目。視聴者はその目がペンギンのものだとわかる。

 ここまでは繊細で「真面目」な描写が多かったが、そればかりでは集中力が持たない。そんな視聴者を慮ってか、「ペンギン」という現実にはカフェにいない動物の登場によって、コミカルなお芝居が展開し始める。

 

 あいねが視線に気づく。振り向く前にペンギンの視線だとわかったのだろう。振り向くと同時に「しーっ、ぺんね、内緒だよ」。ちょっぴり慌てた感じがコミカルに描写される。ぺんねは頷く。あいねが視線の主をぺんねと断定していたことから、ぺんねは日常的に子ども達を見守りながら相手をしており、普段から粗相やいたずらを見つけているのかもしれない、とも推測できる(因みに、1話Bパートでは夕食を待つよしつね(あいねの弟)に「いないいないばあ」を、4話Aパートではももね(妹)の相手をそれぞれしている)。

額縁にかかったペンギンの絵。ペンギンは家庭で大切に扱われている。

 

「ええっ こんなに」料理場にいる父母、カウンターに座るあいね。調理場にはトマト、レタス、タケノコ。「サービスだって!八百八のお姉さんと友達になっちゃった」調理場の野菜が、あいねが冒頭で抱えていたものだとわかる。

 ここでまたひとつ疑問が生じる。あいねが家に帰ってすぐ母にに貰い物(野菜)を見せなかったのはなぜだろうか?なぜイチゴ摘みをした後にあいねと母ははじめて顔を合わせているのだろうか?

 帰宅時に父の声がすることから、両親が遅くまで寝ていたわけではなさそうだ。さらに、3話冒頭の早朝「今日はお店、お休みだもん!お寝坊させてあげて」という台詞があり、デリバリーを受け付ける営業日に母が遅くまで寝ている、という仮説は完全に否定される。

 あいねと母がなぜイチゴ摘みの後はじめて顔を合わせるのか、この問いに対する答えは明示されていない。だが、カフェの営業日であることを考えれば、母とあいねはそれぞれ店の準備、手伝いをしていたと考えるのが妥当だろう。あいねはイチゴを美味しく収穫するために自主的に走って帰る子だ。誰かに言われるまでもなく家の中での自分の役割を把握していて、帰ってからそのまま「お手伝い」にいそしんでいたのだろう。帰宅時に「おかえり」と父の声がすることから、父とはいくらか会話があったかもしれない。どちらにせよ、父、母、あいねがそれぞれ自立して家庭内での役割を果たしていることが、カメラはあいねのみに向けながらも良く描写されている。この世界の他者は、RPGの村人のように主人公(あいね)を待ち、主人公に接触してはじめて動き出す人々ではない。各人がそれぞれの生活を営んでいて、その中の一人として友希あいねというキャラクターが存在するのだ。このような描写から「生活感」が生まれ、過度に理想的とも思える街に生身のキャラクターが住んでいることが実感されてくるのではなかろうか。

 

 「いいのかしら」「あいねは友達作るの上手だものな」

 「ともだちアルバム vol.24」の表紙が映る。表紙からも「友達が多く、あいねはそれを記録している」ことがわかる。ここにも「アイカツフレンズ」の特徴が良く表れている。細かな描写で示されたキャラクターの性格は、視聴者に分かりやすいようストーリーの流れの中で繰り返し示されるのだ。個人的には細やかなお芝居の詰まった密度の濃いテレビアニメは大好きなのだが、そればかりでは疲れてしまったり、話が分からなくなってしまったりすることがあるかもしれない。木曜の夕方という恵まれた放送時間を持つテレビアニメとして、「細やかな芝居はしつつなるべく多くの人に楽しんでもらおう」という意志を感じる。これも、「バランス感覚」の一種といえようか。

 

 さて、「ともだちアルバム」を開くと、友達の似顔絵や写真がたくさんみえる。写真の一枚はあいねの顔が左下に映っている構図(ラ!の何かを連想させる)。さらにページをめくると「八百八のおねえさん」がもう描かれており、あいねは清書をする。イチゴ摘みの後にひとりで似顔絵の下書きをし今に至る、というところだろうか。

 カウンター越しにあいねと両親が向かい合う。母「ともだちアルバムね(これも「繰り返し」の説明!)」

 「もうすぐ新学期だから、新しい友達をたくさん作って、もっともっとページを増やしていきたいんだ」「あたしの目標、めざせ!ともだち100万人!」とにっこり。

 「素敵なお友達ができるといいわね」ここで、母のこの台詞にも注目してみよう。あいねの「友達を100万人」は彼女の外向性がよくあらわれた口癖であるが、「口癖」ゆえ彼女の「友達」は軽い言葉のようにも聞こえてしまう。最近の若者はクラスメイトや顔見知りをも「友達」として捉える人が少なくないという。「友達」の指し示す範囲が昔より広がっているのだ。そんな中で悪意を持って見れば、あいねの「友達100万人」友達の「数」にしか関心がない態度のようにもみえてしまう。そんな彼女に対し、新学期に期待を膨らませているあいねの言葉を尊重しながらも、「素敵なお友達」とさりげなく「友達の数」以外の価値尺度を提案する。いいお母さんだ!さらに、この言葉は1話でストーリーの中心となってくる「特別な出会い(湊みお)」を予言するものとなっている。 

 

 そして、本稿の書き手とは異なり特に言葉を深読みするでもなく、笑顔のまま元気よく「うん!」と返答するあいね。そこに電話の音が入る。母が音を聞いて振り向く。

 「はい ペンギンカフェです」ビジネスの場においても、母のあたたかな声色は変わらない。このアットホームさは「ペンギンカフェ」の魅力のひとつに違いない。

 「はいはい あいね、デリバリー頼んでいい?」「うん わかった」あいねは慣れた反応である。

 バスケットを持ち上げる。

 「いってきまーす」と振り返るあいね。外は光り輝いていて見えない。見送る両親とぺんね。あいねは「家から街へ出かけていく」に過ぎないのだが、ここまで描写を見てくれば、「街や家族に見守られながら、未知の領域(アイカツ)へと踏み出していく様子を象徴している」ように見えてこないだろうか。

 駆けだしていくあいねの輝く瞳。

 「きっとすぐ傍にいるよ 私達はひとりじゃないから」のフレーズとともに、オープニングテーマが流れ出す。

 

アイカツフレンズ!を観よう!

 

 いかがだっただろうか。冒頭の90秒という短い時間に、友希あいねというひとりの少女が新たな一歩を踏み出す前の土台がこれだけしっかりと、しかし無理なく描かれているのだ。

 本編ではこの後、先程も少し触れたようにあいねと「湊みお」の出会いが丁寧に時間をかけて描かれ、あいねは新しい世界へ踏み出していく。第1話の要点は「未知との出会い」だ。

 多くのテレビアニメでは、主人公は元々いた「日常」から離れ、新しいことと出会ううちに成長していく。それは、「アイカツフレンズ」も例外ではない。

 ただ、視聴者である我々は、キャラクターが「1話」以前にどのような日常を送ってきたか、全く知らない。アイドル活動を始めてからの「友希あいね」しか知らないようでは、「普通の女のコ」が踏み出すはじめの一歩、その重みは分からない。

 アイカツフレンズ冒頭では、あいねの身の回りが手際よく描写されていた。それは、物を語る技術としてすぐれているだけでなく、物語そのものにも一層の深みを与えている。

アイカツフレンズ」は現在、1~4話までが無料で配信されている(5月7日18時まで)。もし本稿を読み、興味を持ってくれた人がいたとしたら、是非ともゴールデンウィークを利用して試聴してほしい。 

www.aikatsu.net

 そして、このような映像作品が一か月前に現れたことを認識したとき、こう言わずにはおれないのではないだろうか。「テレビアニメの1話として完璧な1話だった」と。